御祭神の御塚後部には、源氏の白旗を立てたものが根付いた「旗竹」という昔から決して神域を越えることがない不思議な篠竹が生えており、雷が鳴るとこの竹がピチピチと割れたという言い伝えがあります。
江戸時代には、「エレキテル(摩擦発電機)」などを製作した蘭学者平賀源内がこの竹で厄除招福・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めました。
爾来、毎年正月初詣の人々に社頭で授与しています。神棚、お部屋、玄関などにお飾り下さい。
尚、家の中心からみて、「北東(鬼門)」又は「南西(裏鬼門)」の所に飾ると、御加護の霊力がアップします。
●江戸時代の「四神地名録」「江戸塵捨」「十万庵遊歴雑記」など書物を見ると、宝暦(1751~1764)頃より「義興の矢」として、門前の茶店で売られていたものが、後に源内の提案により、五色の和紙と竹で作り、新田家の黒一文字の短冊を付けたものを魔除けとして売り出すようになったことがわかります。
そして、この矢二本を買い、一本を御神前に奉納し、一本を持ち帰って魔除け「矢守」にしたといいます。
これは、新田家伝来の「水破兵破」のニ筋の矢に由来しているといわれています。
●源内が脚色した「神霊矢口渡の四段目の艇梁場(わたしば)の段」には、「今が最後観念と振り上がる間もあら不思議や。何国の共白羽の矢二人が吭射ぬかれて。其儘息は絶果たり。義岑臺は起上り。・・・是こそは家の重宝。水破兵破の二ッの矢の御矢と。驚給へば臺は目早く。其矢に短冊が。実もと月明り。何々二ッの矢を奪れては、新田の家名の衰へん事を愁へ。・・・朝敵を亡して兄上の恨みを散ぜん、代々伝はるこの御矢。家の重宝。武運の守り、・・・有難し忝しと踊り上て悦び給ふ。末世の今に至る迄新田の杜へ参詣し、守りの御矢頂戴の。因縁かくとぞ。しられける。」とあり、新田義岑(御祭神義興公の弟の義宗公)が新田の白矢に助けられ、その矢を家の宝とする様が物語られています。
初穂料 1200円