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新田神社について

附近縁故の古跡

十寄神社 (大田区矢口2-17-28)

御祭神は矢口渡で義興公に殉じた忠烈十勇士をまつるが、その名をはっきり示したものはない。
「太平記」に井弾正、世良田右馬助、大嶋周防守、由良兵庫助、由良新左衛門の名があり、異本に田波兵庫、岡新左衛門入道、松田与市、宍道弥七、進藤孫六三衛門の名がある。
古くは登与瀬明神、十時明神、十騎大明神などとも呼ばれ、願い事がある者は、初めに十寄神社を参詣してから新田神社へ行くと、その願い事が叶うという言い伝えなどもある。

妙蓮塚三体地蔵尊(大田区下丸子2-1-8)

矢口渡で義興公に殉じた13人の家臣のうち、土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市河五郎の三人は潜水して、対岸の数百の敵中に斬りこみ、討ち死にした。この時、村老たちが集まって、この三人の遺体をこの地に葬り、霊を慰めた。
その後、妙蓮という尼僧がこの三勇士のために地蔵尊を建立したのである。

  

頓兵衛地蔵(大田区下丸子1-1-19)

当時の矢口渡の渡守の船頭が後に前非を悔い、この地蔵尊を建立して、義興公の冥福を祈り、その霊を供養したものだと伝えられている。
船頭の名は、古書には何一つその名を記しておらず、この頓兵衛という名は浄瑠璃「神霊矢口渡」に登場する船頭の名で、平賀源内が付けたものである。
また別名「とろけ地蔵」とも呼ばれ、石体が溶けて崩れているのは、義興公の祟りによるものだと伝えられている。

  

灰塚(大田区千鳥3-11-16、原田家邸内)

ここの樹齢100年の椎の大木のもとに「灰塚(千鳥の小塚)」がある。これは義興公の怨念が雷となり、この付近一帯がその雷火に焼き払われたので、里人がその灰をかき集めて、その供養塚として築いたものだと伝えられている。

 

光明寺(大田区鵜の木1-23-10)

ここには竹沢右京亮や江戸遠江守などの江戸氏一族の墳墓である「荒塚」があったが、現在は残念ながら環状八号線道路拡張工事の際に取り壊されてしまった。
また「太平記」に「とある山の麓なる辻堂を目懸て・・」とあるように、遠江守が義興公の怨霊から逃れるために逃げ込もうとした辻堂が、ここの当時雷留観音を安置していた観音堂であったと「武蔵演路」「四神地名録」などに記されている。境内地にある池は、古多摩川の跡地である。

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